2020年10月18日  海賊(日本)

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 藤原純友が瀬戸内海で暴れたころの彼らはどうだったのでしょうか?いつから形成されたものか?そこにはいろんなことや思いが様々に交錯したのでしょうね。本当のところは当の本人たちにしか分からないものだと思います。

 家族、一族郎党、生活養っていかなければいけない。地位や役職も今も昔も大切ですね。知っている範囲内では平清盛海賊をある形にしたとか?

 瀬戸内には忽那、塩飽。北条時宗の頃は河野が有名です。戦国は村上が有名です。能島・来島因島村上水軍の最も名の知れた島で能島が本拠地だった。

 大島と大三島は息子が軟式野球スポーツ少年団合同チームで行ったことがあるだけお手伝いをしていたので(合同チームの監督コーチはいらしたので親は雑用ですね。)もちろん朝から夕方まで試合もしくは負けてよそからの県のチームと合うこともないから練習試合申し込んでしていました。

 瀬戸内の島島の美しさはいつも橋の上からでしか知りません。上からでも確りと魅力的な瀬戸のしまなみ一番の?砦はご存知村上水軍(村上海賊)ですが何と信濃(長野県です。)からきたとか一度途切れて改めてお迎えしてと言われています。

 村上定国保元の乱後で塩飽諸島に居を構え平治の乱後に越智大島に居を移した。伊予村上の祖。源頼義が伊予守をしていた時期に甥の村上中宗に命じて多くの神社・仏閣を建立させたという伝承が残っている。村上中宗は信濃村上の祖です。

 凄いです・村上水軍因島、弓削島中心に瀬戸内海の制海権を握っており海上に関を設定して通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負などを行ったりしていた。 

 余談ですが。

 八幡太郎義家、新羅三郎義光兄弟の父親で前9年の戦いの後だと思います。源頼義

歴史は知らないことばかりです・愛媛と長野が関わりあるとはもっと研究が進んで新しい真実が分かると嬉しいですね。

 村上水軍の資料が1349年ころから記録とあります。瀬戸内海を熟知した海賊でしたが河野氏に仕えて毛利に協力河野には仕えなかったが毛利に協力など。決して一代で村上水軍というわけではないようです。

 また確りと瀬戸内海を熟知してないと水先案内人は出来ません。海賊ですけど陸にもいる期間もあったでしょう。他との連携して戦。同じ村上でも能島、来島、因島河野氏や毛利の小早川隆景に協力したと思います。

 今日初めて知った事実も多いです。昔の武将が繋げてくれた縁大切にできるといいなと思います。

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。