2020年11月16日    チョッと追ってみて。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 意外にも近くに大きな歴史を感じるものがあります。金子山や生子山だけではありませんでした。 

 今回は資料の上だけを追ってみました。慧眼寺や瑞応寺には行きました。ただ、平安時代中期。そんなの愛媛県と関係ない。いえいえ瀬戸内海の海賊のことです。海賊と言われてもまだそれこそパイレーツ悪さのし放題は中央の政権への不満でしょう。

 組織的海賊=水軍は1070年頃から当然村上水軍の海賊ですが村上水軍は瀬戸内海を知り尽くした海賊通行料や運搬料を払うと責任もって仕事をしましたのでこの時の場合は海の無法者藤原純友が939年よりも前には海賊を鎮圧していましたが939年には海賊として蜂起しています。その前に伊予に着任しましたから縁がないわけではないです。

 平将門の乱も935年から940年ですから東西で殆ど同時に起こったような乱ですが僕個人としては将門と住友の肩を持ちたいというとお二方に怒られるかもしれませんが。朝廷は日本の権威ですがゆっくり少しずつ時代が動き始めたところでしょう。

 そのあと前9年が1051年から1062年。後3年が1083年から1087年まだ時代が大きく動くことはなかったようですが関東では源氏が脈々と続き力をつけていたのですね。西日本畿内より西は平家。

 ご存知の保元の乱が1156年で平治の乱は1159年とこのあたりから動き始めて源平の戦いの後頼朝が1185年幕府をという流れにはなりますが。伊予からも参戦された方もいらっしゃると思います。辰巳の風習は戦に行かれた方の供養から愛媛の一部に辰巳があるとか。

 蛇足ですが少年式も愛媛県だけの行事だとか。謂れは分かりませんが大切な行事があると思います。神社仏閣もその地域の人の苦難からの救い天災の知識も今みたいに知らなかったでしょうしね。神仏におすがりするのは当然です。菅原道真公を祀る。京都にはいろんな方を祀られていると思います。

 歴史は勝った者のことが正史とされていますが勝った者が正しいとは個人的には思っていません。いろんな事、いろんな事情でそうせざるをえなかった。周りや歴史に翻弄された面もあるかもしれません。本人の意思とは逆に物事が流れて進んでしますこともあります。みんな歴史の犠牲者かもしれません。本当のことは知る由もありません。

 新居浜市山根町の方にある中野神社に藤原純友が祀られています。

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。