2021年1月24日     去年の戦国の武将ランキング。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 去年は上杉謙信が堂々の1位でした。全く内容を知りらないのでそれ以上は全くわかりませんが、殆どの武将ランキングよりも得るものがあると、受け止め方は色々ですもっと研究が進んだらまた評価が変わるかもしれませんんね。時代背景もあるでしょうそう。義にあつい、真意や信念の中に信義が求められるところがあるのでしょう。僕の知り合いは上杉謙信のいろんな面を知って自分の感性などで評価して好きな武将としているからランキングうぬんは関係ないようです。

 僕自身も特にはいます。戦国の範疇ではなく応仁の乱以降。関東では資料としては殆ど読んでことはないのですが少ない知識では太田道灌に現代で言う?戦国時代では太田資正です。道灌は家宰として扇谷上杉家を支えていたが山之内上杉がそそのかされて道灌が謀殺してしまい扇谷上杉も滅ばされる。

 文明18年7月26日(1486年8月25日)、扇谷定正の糟屋館に招かれ、道灌はここで暗殺されれた。道灌が入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、切り倒された。扇谷定正単独説、山内顕定の画策に定正が乗ったのか?北条早雲の陰謀であったのかは分かりませんが乱れに乱れた世の中あるいは全てだったかもしれません。結局扇谷上杉は北条氏康によって滅ぼされる。道灌に「当方滅亡」と予言されて滅ぼされるのも乱世のならいでしょうか?

 事の真相は分かりませんが太田道灌が暗殺されたことは事実また息子を預けたことで太田資正が活躍するそれは何を意味するかと深谷美するべきか?でも北条氏康相手に一歩も引かぬ姿勢はスカッとします。最後はどうなるかは続きを知りません

 僕としては信濃の村上が領地を失ったことは大変に残念なことです。あの村上水軍と同じ血筋。1070年頃には資料に載っていたということで前9年辺りには信濃から瀬戸内海に村上がきて水軍の基礎を作っていったのでしょう。早い段階で瀬戸内海をまとめていたといわれていますから。藤原純友の活躍時期や海賊になった時期は村上水軍はどうだったのでしょうか?しかも今も村上の一族の末裔が瀬戸内海で活躍しているとは感慨深いものがあります。

 歴史は勝ち残った者が全て事実ですが真実ではないでしょう。何故裏切り者の代名詞のように松永久秀は言われるのでしょうか?本当のあの時代はまだ知らないことばかり謎ばかり、もしかしたら明日本当の真実が分かるかもしれません。ただ言えることは全ての人はその時代を必死に生きようとした。それは叶わぬ夢だったかもしれませんが、勝者とそん色のない輝きを放っていたことは間違いありません。

 中国地方の戦も九州地方の戦も魅力的な武将でいっぱいです。TVではランキングが付けられたようですが僕の中ではランキングはありません。そうあの二人以外はみんな輝いていたと思います。

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 今年は全ての人にいいことが沢山来ますように。