2021年6月25日              今日も脱線。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 脱線と言っても何をいまさら脱線なんていつも脱線しているではないかと思われますが、その通りです。

 

 

 今日は記事で平宗盛についてです。大いに私見をいれてみたいということです。時代は平安時代末期ですが900年代からありましたね。僕自身は違う目で捉えていますが平将門さんいろいろ翻弄された方だと認識しています。もしかしたら平安の衰退期に差し掛かっていたのでは?関東から上洛した時は話を理解してもらえるも、関東に戻ると手のひらを返されるその繰り返しの部分があった。

 

 

 藤原純友も史実以外の部分がみえてきませんので何とも言えませんが、やはり納得がいかなかった。から海賊になったのかもしれません。彼らの思いは分かりません。でも納得ができなかったのではと推察しました。でもまだまだ武士の力は及ばない。力をつけるにはまだだったのかもしれません。

 

 

 歴史は一方的にしか分かりません。それが事実かもしれませんが、真実ではありません。本当のことは分かりません。結果だけしか。それをどう推し量るか?とても難しいです。その資料がどこまで事実に忠実かは分かりません。もしかしたら僕の知らない真実が沢山あるかもしれません。

 

 

 1000年代は前9年源頼義と息子の八幡太郎義家が阿部貞任との戦いです。阿部に勝ちますが。欧州全ては清原が支配するようになりますし、朝廷は源頼義の功績を認めてくれませんでした。その後に清原真衡清原家衡の私闘に八幡太郎義家が介入しますが雪の東北に苦戦しますが、そこにしいら三郎義光が兄のため駆けつけ戦には勝ちますが、欧州は今度は藤原清衡が治めます。

 

 

 またしてもメリットがありません。朝廷は私闘ということで、戦に参加した武将に義家は私財を褒美に分け与えたとか?一見どれも関連はないように思えます。ただ武士たちは所領を得て少しずつ力を蓄えた。公家は少しずつ力を失っていきます。

 

 

 どのぐらいかは分かりませんが、保元の乱平治の乱でも力を落としたのでは二手に分かれての戦ですからね。負けた方が処刑される。この時点では平清盛が得をしましたが、源の方は一族を失い。平治の乱で負けた。源義朝は暗殺されてお風呂で息子の源義平が処刑される。源氏が大いに力がそがれましたね。

 

 

 源頼朝が挙兵した時は負けます。その後知っている範囲は御家人が戦に頼朝は鎌倉に政治の中枢を築きます。

 

 

 さっきの話ですが、平宗盛は武闘派の人間ではなかったのではと思います。能力のうぬんは別として、頼朝と同じ政治家だったのではないでしょうか?

 

 

 頼朝は実際多くの武将は兄の義平についていたと思います。頼朝はお側に使えるもののみ。朝廷から綸旨を拝命したと言え神輿に過ぎません。平の神輿は邪魔です。どちらもともに戦った御家人はいないと思います。状況次第ではどう変わるかは分かりません。公家は力がありませんし、当分は平家を警戒しますが、歴史の証明で生かしておいては今度は平家を神輿に源氏追悼令がですかもしれません。

 

 

 平宗盛は兄重盛と二人で父親の清盛を補佐していましたから、ある程度の能力もあるでしょうし、朝廷に通じている面々もいるでしょう。恨みもあるかもしれませんが、生かしていては先の災いです。そのあたりは武家社会、武家政権を確立した頼朝は十分知っているでしょう。

 

 

 義経を口実に欧州を攻めたのも義経が神輿になるのを恐れたし、欧州の兵力も恐れたのではないでしょうか?もちろん資金はいるでしょうがそのためだけではないと思います。とにかく危険ぶしつの排除を勧めた。宗盛を蔑むのも自分を守るためではないかと事実も事実だと思いますが、政治的要素がとても強い気がします。

 

 

 もちらん憎しみもあったでしょうが、それだけでは国をまとめあげれません。お傍衆だけではどうすこともできませんから、関東一園の武士たちを束ねなければいけませんからいろいろ政治的に手を打ったのでしょう。征夷大将軍もその一つです。

 

 

 鎌倉に決めたのも朝廷を警戒してでしょう。裏切者が出るかもしれませんから。どのような形で頼朝討伐が出るかもしれません。しっかりと盤石な幕府を築く必要があったと思います。

 

 

 ちょっと傾きだしたものを立て直すのは容易ではありません。しかも敵だらけの中で体制を立て直すことは殆どの場合は無理です。それはなににおいても同じです。一度傾き始めたら容易なことではありません。狂い始めた歯車は止まりません。

 

 

 平宗盛はどうだったのでしょうか?ずっと時代が進み今川氏真はどう評価をすればいいでしょうか案外誰も知らない一面があったかもしれません。本心は彼のみぞ知る。って坂本龍馬みたいですが。実際最後にどう思っていたかは知る由もありません。

 

 

 いろんな角度から光を当てても見えないかもしれません。事実はその時代に生きた。一族郎党のためを思い明日を夢見て、結果は残念だったと僕たちは思うかもしれませんが、最良の形を望んで得られなかっただけだと思います。ただ、それだけ。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。