2021年8月26日              想像、信州そばと伊予の国。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 信州では戦国時代の文献にそばが出てくるそうです。そば餅とそば掻き。そうですか蕎麦自体は5千年から3万年前からあった、そうで、文献に載る前は分からないそうですが、まさかと思いますが、こんな想像すると怒られるかもしれませんが、武田信玄上杉謙信の蕎麦の権利を巡っての争い。

 

 

 信州の蕎麦の権利を巡って繰り広げられた争うごと、そんなわけはないですね?そばは信州から広がった。そばの発祥地のようです。いつ頃からそばが愛されていたのでしょうか?

 

 

 なんで伊予の国がと思われるかもしれません。伊予の海賊の文献が1070年とありますから、でも初めは河野氏の水軍のようだったと知っている範囲ではそのようです。事実は分かりません。河野氏は以下の水軍は恐らく平清盛の頃存在したのでしょうかねどうでしょうか 北条時宗元寇の時には河野水軍の名前が出てきます。

 

 河野水軍(恐らく河野氏の配下の水軍)がどのように推移していったのでしょうか?分かりませんが、村上水軍の村上氏はもともとは信濃の出ですね。信濃から招いてとあります。でもすごいですね。信濃は確かぐるりと囲まれて海がないと思います。方や海の中心部です。

 

 

 いつ頃来られたかは分かりませんが、生まれ育ったところは海がないところ、そこから海の真っただ中で生活をする。普通に考えると並大抵ではなかったと思います。それから、どのくらいかは分かりませんが、村上氏が途絶える。途絶えたためまた村上氏を迎える。いつ頃なのでしょう?

 

 

 でも今度の村上氏は有名な、能島、来島、因島の村上です。詳しいことは知りませんが、戦国時代に活躍された村上氏、お蕎麦も伊予に持ってきませんでしたか?どうなのでしょう?信州で生まれ育った。村上氏そばを食べて育った経験はあるとは思いますが実際はどうだったのでしょうか 

 

 お蕎麦好きで取り寄せて島で栽培したっていうことはありませんかね蕎麦は痩せた土地でも栽培が出来た。といわれています。蕎麦の原型は、戦国時代までたどることが可能であり、長野県が本場だったことがわかる。とありますが、伊予に来られた、村上氏が食されていた可能性はないでしょうか?

 

 

 もちろんそば掻きとして食されたことにはなるのでしょう?もしそのような文献が今後出てきたら、ますます、伊予と信濃の繋がりは証明されることになるのでしょうね?

 

 

 でもかってな想像ですが、信濃とそれ以上に蕎麦も愛媛とは繋がりがあり、どちらも大切なんだなと思います。どちらもとても大切なのですが、内容はあくまでも僕の勝手な想像です。しかも史実とは間違いなくかけ離れていると思います。

 

 

 僕自身は麺類が好きなのですが、その件を抜きにしても愛媛でそばを食べること、食べられることは、すんなりとした、当たり前のことだと思います。そうめんも五色のそうめんもありますから、そうめんも当たり前ですね。そうめん最高特にこの暑い時期は欠かせません。うどんやラーメンも欠かすことのできないものです・

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。