2021年11月26日 不登校。ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
確り、忘れていましたが、27日はヨスさんとシンジさんのトークイベント「世界はもっと生きやすい」があります。
ゲストに
小幡和輝さん。だそうです。
「不登校」全く、全然悪いことではないです。はっきり言ってその方の事情を知りませんからどうのこうのは言いません。言えることは、理解をしてあげることは出来ないかもしれませんが、辛い思いをされたのだと思います。
今はどうかは、知りませんが、学校は獄炎ドラマではない。
小学校3年生の年配の女性の担任の先生には叩かれる、授業中の話ですが、回数は覚えていませんが、叩かれたした。そのころはそれが当たり前だったのでしょうかね?古すぎる話で叩かれたことしか記憶にございません。
中学2年生の時の担任は男性で年配だったと思います。流石に年齢までは知らないのですが、すぐ生徒の鼻を引っ張る。焼酎じゃと言って。焼酎を飲むとみんな鼻が赤くなるのかは知りませんが、生徒の鼻を引っ張り、鼻が赤くなってそれを焼酎と言ってすまされますから。しかも僕以外のクラスの生徒はみんなその先生を慕っていましたし、歌まで作って確り、焼酎も飛ぶけどとの歌詞にもなっていました。
生徒が失敗や間違いや悪いことしたのを生徒の鼻を引っ張りその行為を正当化する光景の異常さはありました。それで一致団結できる僕以外のクラスメートは信じられませんでした。それぞれの生徒の行いに対しての鼻を引っ張る行為ですが、何がどうだったのかは知りませんが、されてかんしゃするのも理解できませんでした。
僕も悪いところはあったと思います。中学校時代のことで覚えていません。
高校1年生の時はイジメにあいました。でも、中学校3年の時の同級生が心配してくれて相手の学生と話しをしてくれたようでその後はいじめがありませんでした。
これが、学校へ行っていた時の現実です。人も学校も会う合わないはあると思いますし、僕よりもつらい経験を実際にされた方も沢山いらっしゃるとおもいます。その時の辛い思いの中で学校を行くよりは不登校されることも大切な選択肢です。自分を守るためどの選択をされるかはとても難しいことですが、その時絶対にそれをしなければいけないことはありません。
自分でできないと思えば逃げる勇気も必要かもしれません。思いっきり逃げる。逃げるは恥ではありません。何度でも挑戦するため、自分のあったアプローチの仕方をするためあえて自分を逃がす。ことも大切です。
下手な歴史好きですが、「負けるが勝ち」「逃げるが勝ち」だと思います。その時はチャンスではない。時期が早かったと思ってみるのもいいです。苦痛に耐えながら心をダメにしてはいけません。好きなことしたいことならもう少し頑張ってみようはいいかもしれません。心が辛いのに無理する必要はありません。
そのチャンスは後からだってあります。形ややり方は違っても恐らく求めていたものは得られると思います。
その時のクラスでは変化存在だったかもしれませんが、まずは自分が大切です。人と比べるものでもないですし、比べるべきものでもありません。なじまないからといっても、一人の人格者一人の人間です。曲がりなりにも馴染めるならば、いいのかもしれません?
学校を経験して良かったのか?悪かったのか?は何とも正直言えません。人間形成の場ととらえても答えを出すのは難しすぎます。
言えることは、自分らしさを見失わないことだと思います。あとから学校も通えますし自分を大切にすることそれが一番ではないでしょうか?
中学校も3年の時にいい友達に巡り会えましたし、高校も、高校は違えど高校へ行きやすくしてもらいましたし、2年のときからでしたか?いい友達にも恵まれましたから、感謝です。運が良かった。本当に、いいきっかけがあるか?ないか?は学生生活に左右されます。
運で片づけるなと思われるかもしれませんが、いくら逆からの景色があるのは分かりますが、いい気はしません。
そのような経験をしているので、不登校もありだと、そう、自分自身を守る選択肢だと思います。感性や感受性は一人一人違います。無理と感じたらそれは無理ですね。そう思います。
人生に近道はありません。まわりまわって到達した方が、近道を選んだ方よりも早かったなんてことままあります。何を選んでも自分の人生。できることから始めたり、いろんな方法や道を探して自分流で歩むのも自分の人生です。自分に合った人生を歩んでほしいです。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。
心より願っています。