2021年7月9           世の中は知らない凄いことが沢山ある。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 今日は梅ザラメを買いに行きましたが、途中大変なことに、にわかに真っ暗に空がなりました。雷が鳴り響き大雨前が見えない状態です。このような激しい雨、はいつ振りの経験でしょう。ノロノロ運転をせざるを得ない状況になりまして時間は過ぎるのに車はなかなか進まない状態がしばらく続きました。

 

 

 決してそのせいではないと思いますが、お店についたときはもう梅ザラメはありませんでした。仕方がないので諦めて次の用事をしに車を走らせました。 

 

 

 ペットボトルを粉砕機に投入し終わってこの前から気になる大田屋ラーメンの前を通りましたが、準備中でした。あとで調べると元ちゃしゅー工房がお店の名前を大田屋にされたとか、午前11時30分から午後2時30分までと夕方から、日曜日はお休みのようです。

 

 

ではと前に見かけたうどん屋へ行こうとしましたが、駐車場がわかりません。お腹もすいて仕方がないので駐車場を探すのは諦めまして、以前見たちゃしゅー工房へいくことししました。産業道路沿いにある。いしづち店です。そうここには豚と羊が付いていて通りを見ていますが、お店の入り口にも豚がいます。

 

 

 当然作りものですが、とても珍しい目印です。お店もプレハブで入り口のすぐそこにカウンター席が4つ右手に向けて丁度厨房と向かい合わせです。入り口正面がレジで左側にテーブル席がありました。ランチメニューではなく味噌ラーメン大盛りを頼みました。

 

 

 いろいろと格言を書いていましたが、覚えていません。気になるようでしたらちゃしゅー工房いしづち店の口コミを見ていただければ恐らく投稿できていると思います。未ニュー表とスタッフ紹介表もうまく投稿できていれば嬉しいです。麺は太麺でツユが良く絡みます。出汁も味噌ですがそんなにしつこさも子様なく昔ながらのこだわりを確りと引き継いで頑なに作り続けている感じです。

 

 

 うどん屋の駐車場を探しに迷う込んだところに偶然図書館を見かけたので、見に行きました。福祉総合センターの駐車場に車を止めて大通寺へ通りかかりの際に見かけました。とても素敵なお寺でした。しかも真言宗でした。ほたるの泉へ行き通り抜けて行くと西条図書館へと出ました。

 

 

 また、斬新なデザインの建物です。残念ながら建築についての知識を全く持ち合わせていません。その素敵な魅力をお伝えできなくて申し訳ありません。口コミには投稿しましたが、いざ説明するとなるとなかなか難しいです。

 

 

 萩生寺目指しましたが、急な坂道ですし、道幅が狭し、入り組んでいると言えばいいですか?周りに圧迫されながら曲がりくねった道を萩生寺へスマホのナビがなければ生きつくことができませんでしたし、事故を起こしていたかもしれません。 

 

 

 萩生寺何となく黒島にあるお寺と雰囲気が似ています。ダライ・ラマ14世が来られたとか。しかも弘法大師の名前に高野山までしっかりと明記されていました。由緒ある格式の高いお寺だと思います。

 

 

 泉大師萩生の大地は縄文・弥生・古墳時代を通じて古くから栄えた地域である。ってそうですか?そのような場所なのですね。口コミに投稿しましたが言葉にならない、言葉にできないものを感じます。

 

 

 ただ、僕の神様は一宮神社助けていただきましたので(一つや二つではありません。細かいことは触れてはいけないものですので申し上げません。)仏は井源寺です。変えることのないものです。

 

 

 何を今さらと思うかもしれません。でも現に自分たちがいるのはご先祖様たちが清め開き導いてきた道なのです。自分で切り開いたものなどありません。多くのご先祖様が困難な中で悩み、苦しみ、望みと希望を託して診続けた未来なのです。決して途切れることのない大切なものそれを優しく静かに見守ってくださったのは神仏です。

 

 

 別に一宮神社の氏子に、井源寺の檀家になどと全く思いません。それぞれに導かれた神様仏さまがいらっしゃると思います。そこには言葉では言い表せないものが沢山ご先祖様からの思いが沢山詰まっていると思います。その思いの元自分の代々の神様仏さまを大切にそうそういう思いを未来永劫つなげてほしい思いで口コミに投稿しました。

 

 

 僕の投稿した場所はわずかですが、守る日田たちの思いは静かに、穏やかにけれどあつい思いがあると思います。その全てを受け継ぎそれぞれに伝え繋げていかなければいけないと思います。そう大切な思いの数々はなくすことなく伝えていかなければいけない気がします。踏み外さないように道しるべかもしれません。それぞれではありますが大切に言葉としてではなく思いとして伝えていかなければいけないと感じています。

 

 

 それは、今日と変わらぬ明日を迎えるためかもしれません。昨日から今日になった喜びかもしれません。同じ思いを通り抜けながらも結局は神仏を大切にしてきたと思います。それは裏返せば自分を守るためだと思います。いい未来を迎えるため大切なものを大切にしたい。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。