2020年12月26日     雑記思うところ?

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 この頃歴史が見直され新しい事実が分かりましたが、前から織田信長比叡山焼き討ちはないことは聞いていました。坂本の町を焼いたことだと記憶していました。松永久秀の裏切りの説も怪しいとは思いました。江戸時代の主従関係でないのだから。しかも現代の感覚をあの時代の乱世にあてはめても当てはまりません。

 戦国時代といういい方も後から付けられたことです。朝倉も朝倉孝景の時に越前をまとめたそうですがもう一人の朝倉孝景の時は跡目争いがありましたしこの頃は朝倉もまとまりなく朝倉そうてきの時には辛うじてそうてきで持っていたようで、朝倉義景の時はいい人材がいなかったとか?しかも軍事面は担当がいて一任されていた。そうてきが健在な頃よりかは軍事力も落ちてきていたでしょうし、本当のところどうだったのでしょか?朝倉義景はどこまでどのような気持ちで考えていたのでしょうか?

 明智光秀丹波攻略も途中とん挫していたのですね。その間に正室の死がありそれが彼の人生を大きく狂わしたのでしょうか?後半の丹波は情け容赦ないひどいものだったそうですが、もともとそういう気質だったけど奥さんがいたから制御が取れていたのですかね。正室が亡くなり狂いが生じ始めた。ゆっくりと本質の見え隠れする中で少しずつ歯車は狂ってきたのでしょうね。

 織田信長も吉野が亡くなって少しずつ歯車が狂ってきたという内容を読んだことがあり個人的な意見です。前田家が加賀百万石を守れたのも利家が活躍できたのもお松がいたからという解説もあります。乱世を生き抜くには時に非道でなければいけなかったのかもしれません。

 松永久秀は大和がほしかったようです。もし筒井じゅんけいでなくでなく松永久秀にしていたら歴史は違っていましたかね?徳川家康だって信長の指示通り正室を殺害したといいますが今川家の血を引く正室が邪魔で信長の指示を口実に嫁殺しをしただけですから。正室がずっと目障りだったから丁度良かっただけ。息子もいうことをきかないからという理由だったと思いますが実際はおうなのでしょうか?真実を知る機会があればもっと驚く答えが出てくるかもしれません。

 勝った者最後まで残ったものが正しいのでしょう。

 何事も表面のことだけを知っていますが本当の真実を知ったときは驚かされるのでしょう?それはいつの時代でも一緒強いもの権力のあるものが正しいのでしょう。知らない方がいい真実もあるのでしょうか?

 どうなるのでしょうか分かりませんがでもコロナウイルスは落ち着いていつもの暮らしになると嬉しいです。

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。