2021年12月30日 一日早いですが、年越しそば。ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
除夜の鐘は、12月31日の間に107つ鐘を突き最後の一つは年が明けてから、最後の一つをつくそうです。煩悩は毎年やはり108つあるのですかね?煩悩は無くならないのですね?一年間で、108つたまるのでしょうかね?毎年同じ煩悩が同じように貯まるのでしょうかね?煩悩の貯まる順番も規則正しいのでしょうかね?その辺りどうなのでしょうかね?
知らない間に、同じ行動、考えを繰り返してしまうのでしょうか?過ちは繰り返されるのでしょうかね?どうなのでしょうかね?12月は師走。昔は、一年間で借りたものを返す月とされていると聞いたことがあります。どういうことなのでしょうね?でも今の感覚ではないでしょうね。11カ月の中で借りてきたものを返す。
借りたものを返すのは当たり前ですが、どのような生活スタイルでしょうか?生活習慣とはどうだったのでしょうかね?昔は、我が家の実家では牛を飼っていましたね。何故牛をというと牛によるしろかき田んぼのことを牛にさせていましたね。実際見た記憶はないのですが、牛小屋に藁を刻んで入れたことはあります。
ある程度牛が藁の中に糞便をしたのをかきだして先ほどの様に新しい藁を刻んだ藁を入れる。牛も子牛から飼っていましたね。詳しくは覚えてはいないですが、その様なことを覚えています。子供の頃はいつもヤギの乳を飲んでいました。家で飼っていましたから。牛乳は飲みにくいです。ヤギの乳しか飲めなかったですからお金は餌を与えたりはしましたが昔は草を与えたり金を書けませんでした。子ヤギはどうしたかは買ってきたのか?どうかは知らなかったのですが、ヤギのエサやりもしていました。
子供の頃はご近所さんにな中をいただいたら器にお返しを入れる、なければ、マッチ棒を3本入れてお返ししていました。その辺りを思い出しても一年間の借金を12月に清算していた?うーん、全く想像できません。借りたものについても想像がつきませんし、12月に清算できる辺りも、ちょっと分かりません。借りながらも12が月で蓄えられたのでしょうか?ま、たくわえがないと返すことが出来ませんね。
その辺りは分かりませんが、昔は貸し借りは気軽に、気の合う人としていたのでしょうね?貸し借りの生活が普通でったのでしょうね?想像の閾値は出ませんが?
年越しそばは、江戸時代からだそうです。年越しは絶対に蕎麦と決まっていないそうです。うどんのところもあるでしょうし、ラーメンのところもあるでしょうね。その地域、その地域であることですから。
ソバなどの麺を食べるのは、「長生き」当然ですよね。麺類は長い。ところが、それだけではないそうです。蕎麦などの麺は切れやすいということで、悪いことから切れる(内容は違うと思いますが、やはり悪いことや嫌なこととかとはお別れしたい気持ちはありますからね。)ちょっと驚きは幸運の意味もあるということです。でも、そうですよね、長生きを願って(健康長寿)、悪運を切って、次に望むのは、やはりと言うか?当然というか?幸運を願いますよね?今よりもいい生活を望みますよね?
そんな思いがあるとは?知りませんでした。蕎麦に載せるのは天ぷらだそうです。やはり海老天ぷらですかね?食べるのは、12月31日のうちに食べるそうです。
江戸時代からそう思いながら年の瀬を迎えて、来年こそはいいことがあると願ったのでしょうね?確かにいい生活したいですよね。不安や不満や不自由などとはお別れしたいですからね?いいことは、沢山ほしいですよね。当然そう願います。
縁起を担ぐことも大切です。神様にお参りすることも節目、節目には(一年間の内での話しです。)参拝される方がいいと聞きました。
来年こそは世界中いいことがあふれてほしいですね。2年間の辛抱、来年は好転するといいですね。何かがあっても昔は3年我慢すれば好転する。3年は一つの区切りでしょうかね?3年間の積み重ねは確かに思いと思いますが、昔の人は3年間をじっと我慢したようです。(データがありませんので分かりませんが、生活の中での知恵なのでしょうね?)経験に優るものはないのかもしれません。
だからこそ、来年は全ての人に沢山いいことがあってほしいですね。いいことがあるように願いたいです。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。(まだ、今年は終わっていません。終わるまでは今年を思っていたいです。)
心より願っています。
一福での今年、最後の一福ランチを食べました。