2021年6月7日      奇数のおすそ分け。ほか。

   こんにちは伊予之鈍才です。 

 

 いやあ、古家があまりにも素敵だったので本来今日のテーマがかすんでしまいましたね。懐かしさに浸りながら思いだそうとしていましたが、残念です。おすそ分けって、母親が時にしていましたね、逆に貰ってお返しができない時はどうしたらいいのか?

 

 

 もらうだけではなく、親しいご近所さんからいただきもの。と言っても僕の子供のころで、いただきものは野菜だったり、果物だったり、百姓同士の今年の作物が出来が良かったからお裾分けしていただきました。そんなね東京へ旅行へ行ったとか?海外旅行へ行ったとか?はありません。

 

 

 そうお米を作り野菜を作りで来る日も来る日もですから、仕事と言えばお互いに百姓ですから僕の小さい頃は牛を飼っていましたね。代掻きの主役は牛です。でも殆ど記憶にございません。本当に。ただ、牛小屋に牛の便で汚くなると藁をかきだし、(した記憶がありませんが、しなかったのでしょう。古くで覚えていません。    

 

 

 そのあとに藁を切って入れていましたね。こちらはさせられましたし、藁ですから入れるのも思ったより軽いです。藁を切る大きな包丁みたいなやつで藁を切らされていました。新しく入れた藁を牛が食べたりどうせ後から出てくるからかまん(いい。)と言われました。

 

 そのようなせいかつでしたからね。田植えも助け合いであの頃は植えていました。この頃は植えたことはありません。田植え用の定規もあり、ずれないようにするために定規を使うのです。大変だったと思います。何人かで協力して苗を植えますから同じ間隔同じ速さが要求されます。植えたことないですが、束ねた苗を声掛けに応じて取ってあげたことがあります。

 

 

 田んぼは水が入ると粘土質のため足を取られて抜き差しが大変です。大幅に話がずれてしまいましたが、そのような日常生活で貰い物をしても返すものなど都合よくあるわけがありません。たまたま貰ってとか?本当にタイミングよくあったなんてことは滅多にありません。その時はマッチ棒を奇数本お返ししていました。

 

 

 あの頃は火をおこすのにマッチ棒は貴重品ですから、ひねってガスの火が付くなんてことはのちのことですから。スイッチ一つでお湯が沸きお風呂に入れることはありませんでした。五右衛門風呂に水を入れて竈門で火をたいてお湯を沸かしてお風呂に入っていました。よく風呂焚きをさせられていました。薪を組んで入れていっぱい新聞紙を入れて吹いて、扇いでひをおこしていましたが、火が付くまでが一苦労でした。

 

 

 まだ脱線しましたが、何故奇数か?其れは偶数は割れる若しくはw刈れるからと亡なった母親が言っていました。だけど9の数字もいけないそうです。「く」と言い苦労に通じるからだそうです。また、1個もダメだそうで3個か、5個か、7個だそうです。大切な方や近づきあいは割れないように奇数を確かめてお返しを持って行かされていました。

 

 

 車を運転するようになった時は3番目の母の妹と4番目の母の妹宅へよく届け物をさせられていました。懐かしい話です。

 

 

 その影響か?本家と松山にはたまに野菜を届けます。もちろん嫁さんは母親に野菜を持って行ってあげています。

 

 

 いつまで野菜を作れる元気があるでしょうか?

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。