2021年1月11日 怒らないように。50歳代の考え。その他。
こんにちは伊予之鈍才です。
出来るだけそうしたいと思ったのは、やはり中国の歴史を読んだから?人間の感情は喜怒哀楽を基本に進化している?嬉しい時もあれば、悲しい時もあり、悔しさもあって腹立つこともあります。嫌なことや苦手なこともあって様々な気持ちになります。感情も流動的であり一日の中でも交感神経と副交感神経の優位が変化します。
同じことでもいつもは気にならなかったり、スルー出来ていたのがその時だけは無視できなかった、と言う場合もあります。精神的の変化は難しいですし、身体的疲れも分かるのは疲れているなぐらいです。感情の変化、感情のコントロールが難しい時もあります。気持ちや心は目に見えない分だけで厄介です。空気を読めばと言われますが心の奥底からきたものや駆け引きや意図するもの、その上相性というか?馬が合うと言うかそのあたりでも物事は大きく変わります。合わない人とはとことん合いません。別にそうしようとしていないのですが、不思議と合わない人とはタイミングや諸々全て会いません。
世の中を渡っていくにはとても難しいです。生きていくため生活のためその状況その場面に合わせなければいけません。アマゾンで何かの争いで負けて一人で暮らす男の人がいましたが、特別な例で済む限りは何らかの関わりがあります。見て、聞いて、感じるも千差万別です。例えば富士山を見てもいろんな見方、感じ方があります。僕個人としては子供の時連れて行かれた東赤石に強い思いがあります。息子と娘と一緒に小学校の息子の同級生たちと登った。宝物の思い出です。
同じものでも一人一人受け止め方は違います。注意も果たしてその人に届いているでしょうか?百%その人のためではない失敗によって迷惑をかけられたことに対する怒りで言っている。その時の状況。いろんな要素のことはどうでもいい仕事を確り責任を持ち遂行してくれさえすれば、その人の変化疲れ、思考力の変化は問題されません。どういったことに失敗しやすいか間違いやすいかは関係ないようです。誰も失敗や間違いはしたくはないと思っています。でも繰り返したり、つまずいたり何故かしてしまいます。
そうだからと思い始めたのは50も回ってからですが、歴史で憤死という言葉がきになり怒って死ぬ。喜怒哀楽。喜びで死にませんね。チョッと言葉は悪いですが比較ですから、悲しみのあまり心を閉ざして心が死ぬはありますね。楽で死ぬはありません。でも憤死は強烈でインパクトがありました。
それに怒っても何ら物事は解決しません。それより悪化する一方です。いろんな意味で出来るだけ全てのことに対して怒らないようにしています。難しいですが怒ってもいいことはないですし、もしかしたら相手に恨まれているかもしれません。恨まれないでも疎まれているかも。起こる場合は確りとフォローする必要があります。また、えらい目に合わされたと感情的に怒るのは先で損失の方が大きくなります。そんな意味合いで怒らないのではなく自分を成長させるためも少しあります。
怒ってもいい案など出ません。個人的にそのような問題に出会ったときその人たちは起こることでしか対応できない、その場面の物事を解決できないのだなと思っていますあくまで個人的にですが。
それから個人的にですが、今まで築いてきたものなどや知識などはチョッとしたほんの一部だと思っています。ま、地位や役職の経験ないので薄ぺらいですが、個人的には横の隅っこに置いて今は一から知識を広げ,一から積み重ねていこうとしています。いわいる駆け出しです。何もないところからの興味本位、興味津々でやっていけたらと思っています。薄っぺらく。楽しく大雑把にできればいいです。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威が大変ですが。
今年は全ての人にいいことが沢山来ますように。
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
あとがき
あれから少しは成長できたか?考え方にも少し変化があります。