2021年3月29日 内(自分)から見る景色と外(相手)から見える景色は違う。ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
今日もプロのブロガーの方からGメール。二日続けてになります。おめでとうございます。今日が誕生日です。
中・構成の頃は早く20歳になりたいと思っていました。若い頃は、理由はないのですが、50歳55歳ぐらいに早くなりたかったです。今は別に年を取りたくはない。出来れば最後まで自分のことは自分で出来ようにいたいです。亡くなる瞬間まで自分のことは自分で出来たいです。
人生最悪は40歳から59歳までの間いつもやずっとではないがいろんなことがありました。いやあ、あり過ぎました。唯一ずっといたのは嫁さん。今も嫁さんでいてくれています。
全ての困難まさかあるとは誰も自分の人生は分かりません。59歳以降も何かとありましtが、困難あったが別に変らない生活、人生があるだけです。人生は波乱万丈ですが全く大きな登りは一度もありません。急降下は沢山経験しましたが、そのあとはそのまま平の人生上昇しません。上昇運気もありません。落ちたら落ちっぱなし、曲がったら曲がりぱなし。あるのはいつもと変わらぬ生活といつもと変わらぬ位置です。
別の話が長くなり過ぎました。
何にしてもだとは思います。内から見ているものと外から見ているもの全く同じものを見ているにも関わらず、内と外から出は同じものを見ても景色が違って見える。間接的、直接的でも違うと思います。アプローチの仕方が違っても大きく違ってきます。
見方、考え方、感じ方の違いでも大きな違いが生じます。こちらが気にしても相手が全く気にしていなかったり、またその逆もあります。受け渡す側と受け取る側の関係も大きく影響している場合もあります。相手が上司だとその行為に嫌悪感があったとしても口に出したり、態度に出たりしません。その行為が受け入れてくれているかは判断が難しいです。
場面場面で全ての人が我慢をしてスルーしてくれているか?怒っているかは実際は分かりません状況によってはその人との人間関係がどこまでか?これは場面、場面がいろいろあり判断が難しい。余程の何かでなければムカッとしてもスルーして迂闊な行動はしません。
逃げるは恥だとは前から思ったことはありません。本当に強いのは逃げるが勝ち。負けるが勝ちを実践できることです。自分がしたい将来像へ向かう目的ならそれをどうすればいいか?反対側からも当然見る必要はあります。見えなければいろんな方向から考えてみるのはとても大切です。
例に挙げると嫁さんと喧嘩はしないと初めに決めていました。喧嘩をしても勝てないのは事実ですが、上手くは言えませんが、喧嘩したいとは思いません。佐助て欲しいと思っていました。今は嫁さんについていくだけです。しなければいけないことはしますそういう話ではなく二人で人生を歩むためついていく。
(答えになっていませんが、それと嫁さんは喧嘩をしたがらないのは面白くないかもしれません。想像です、聞いたことありません。聞くこともありません。嫁さんと喧嘩はしたくありません。)
子供たちが自分の人生の進路に向かって旅立ったら二人だけになりますから。僕の人生は嫁さんについていく。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。
こころより願っています。