2021年5月27日         なるほど確かに。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。 

 

 いろんなことに行き当たり悩むことが多いですが、ひろゆきさんの言葉「前提が違うんじゃないか」確かにいろんな物事、考えで大きく悩ませる問題として、それは言えていると思います。やはりどうしても長年培ってきたもの経験したものが主になります。

 

 

 その人の境遇も理解しなければ言葉の真意はつかめない。自分の考えが果たしてどうかと最近では思います。長年積み重ねてきたものを変えるのは難しいです。日本人だけでも1億2千万人いますかね?ちょっとざっくりでこの話ではこの人数で行きたいと思います。

 

 

 やはり日本中1億2千万人住んでいるということは1億2千万もの考えがあります。公の場合はさて置きとしても私的になるとやはり自分のこと当然優先ですよね。細かい点は別に置いていて普段はやはり自分の時間を持ちたいです。

 

 

 親が築いた家庭はどの位置だったかは分かりませんが、それなりに生活できる位置ですね。小遣いなど生まれてもらったことがありませんでした。柿の皮をむいで吊るしてもお金にもなりません。大抵何してもお金になりません。

 

 

 小学校の日曜日あの頃は土曜日も学校の授業が午前中ありました。でも嬉しかったです。午後から帰れますから。休みは日曜日だけでいつ頃かは忘れましたが、朝の5時から山に連れて行かれるのですね。友達もいないので別にその点は困らないのですが目的地近くの道から車を降りて歩かされるわけです。

 

 

 山の中をい一歩間違えれば谷底ですから、夏も冬もないですし。どのくらい歩かされたかは覚えていません。親父は花芝取りで昼飯食っても暫く花芝取りその後荷物と花芝の荷を二つ道まで追い出す。結局2往復になりますが、この時にわずかなお小遣いをもらいました。いくらか覚えていません。

 

 

 一度冬で花芝背負って下山途中に転落しました。足を滑らせて「あっ」と思った瞬間にはもう道より飛び出して転落しました。幸いそこは道のわきで草のあるところで毛感性のとても低いところでしたから問題はなかったですが、場所が悪ければ死んでいたかもしれません。

 

 

 勉強も嫌いだったので大した学力もないです。初めのことは仕事も長続きしませんでした。今でこそ30年間仕事しました、役職にはついたことはありません。と言えるもののそれまでは長続きしませんでした。

 

 

 やはり少し共感いただけるとしたら似たような経験がある方でしょうか?その人の背景、普通は分かりませんし、踏み込めませんが、話を聞く機会があれば一つの考え方として気に留めておくのもいいかもしれません。やはり完璧な人はいません。

 

 

でも、受け止めることは出来るのかなと思います。全ての記事を読んでいるわけではなく気になる記事だけですが、参考になります。それを生かす、生かさぬではなく知っておく人間の深み、懐の広さに繋がって行けば嬉しいなと思います。

 

 

 亡くなった母親は捨てるのはいつでも捨てられるでも今できることをしなさいと言っていました。出来なかったことも多かったですが、それも全て肥やしにして先に役立てたいと思います。今はブログと口コミかなと思っています。

 

 

 でもブログも口コミもまだまだ模索中です。頓珍漢な部分、五里霧中の部分を感じていますが、恐らく僕自身がまだまだ未熟だからだと思います。若輩者ですが(年ではなくブログや口コミをする者として)これからもよろしくお願いします。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。