2021年8月8日               誰かの顔を立ててや仕方なしで引き受ける動機の物事はしたくない。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 驚きですね。いつものGメールが実はプロモーションに入っていて昨日は夜遅くまで気が付きませんでした。驚きというのは気が付かなかったことではありません。ヨスさんが少しずつだけどしっかりと目標に向かって進んでいることです。

 

 

 はっきりと言ってまだ、一度もお会いしたことはありません。もし、ヨスさんが僕に会ったとしたら間違いなくヨスさんが驚くでしょうね?なんだショボいおっさんかと、ヨスさんは本人が分かるようなのが載せられていましたのである程度ののイメージがありますが、ご活躍は目を見張るものがあります。

 

 

 8月28日の「世界はもっと生きやすい」では高椅哲さん(埼玉大学教育学部准教授)をお呼びします!とありますのでどのような内容をと思いますと専門として日米の教育法制を研究されているそうです。

 

 

 高橋さんに今どきの学校事情、教員の労働実態、教育格差などの問題を聞きながら、みんなが幸せになれる改革の道筋模索したいそうです。

 

 

 「ツーブロ禁止」「下着禁止」などのブラック校則、ブラック部活、教師の過労死、いじまなど、学校をめぐるニュースには日々事欠きませんね。すみません、知らないことばかりで申し訳ありません。

 

 

 テーマは「せんせいも子どもも幸せになれる教育改革」

 

 

 僕の時代は気が付かなかっただけかもしれませんし、それが当たり前だと受け止められていたのかもしれません。実際に小学3年の女性担任は生徒を叩いていましたし、何もしていないのに叩かれた経験がありました。それが当たり前の教育方針だったようです。他の先生はしませんでしたっがその女性教師はしていました。小学3年生でしたのでその教育方針をすっとされていたかどうかは知りません?

 

 

 中学校の2年の先生は何かといっては生徒の鼻を引っ張る担任でした。鼻を引っ張ると鼻が赤くなるので焼酎と命名されていましたが、百歩譲って鼻を引っ張ったり、叩いたりして正しい方向性にその生徒を導出せたのでしょうかね本当にその生徒のためになったのでしょうか?今ではどちらも知る由はありませんが、どちらもいえることはどちらも大嫌いな先生だった。それだけです。

 

 

 学校は子どもたちが成人ですので今のところは行くこともありません。先で孫が出来てということはあり得ます。でも、一番大切なのはそれに向き合ってどうするべきか?どうあるべきか?を考えなければいけないと思います。それはいけない部分を除けたからとかではいけないでしょう?問題に直面して問題に携わることは並大抵なことではないでしょう?ただ、流すだけでは問題解決にはならないでしょうけど、その重たい一歩を歩み続けていただければ幸いです。

 

 道ははるかかなたゴールは見えないかもしれませんが、紆余曲折の中自分の決めた道を歩んでほしいです。そう、誰かの顔を立てる、世話になっているからではなく、自分がしようと決めたこと、いやいやや仕方なしにも引き受けてほしくはありません。例え返答に窮しても、満足な説明が出来なくても自分が決めた道を確りと進んでほしいですどんなに困難でも、不可能と思われても必ず求める道はあります。

 

 

 諦めや妥協はそこで終わってしまいます。僕もどんなに泥臭くかっこ悪くても自分が信じた道を進みます。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。