2021年9月9日 全ての人と仲良くなれるのは、ドラマか?何かの世界だけ。ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
心からとか、心を割って話せるとか、打算なく付き合えるは学生のときだけですね。それも、一部の友達だけ、全てとなんてあるわけありませんでした。
精神科医Tomyきょうのひとこと。
「優しく生きるには、ドライさも必要よ」 「適当なドライさ」
自分の心のなかの優しさを持ち続けるためには、
関わってはいけないタイプの人とか、
関わってはいけない環境とかあるわけなんです。
優しい人っていうのは、意識しないと、
そういう人や環境と関らないようにできません。
そうですね。その通りかもしれませんね?優しさ実は有りがた迷惑だったりすることもあるようです。何でもかんでもは避けるべきですね!自分が思っても、相手は全く思っていない。逆にこのチャンスに利用してやろうと思っているでしょうからね。特に言葉が綺麗は注意する必要があるかもしれません。言葉巧みであるとかね!大きな落とし穴がある場合がありますからね。
相手を上手にいかせて、成長させてあげようなどと考える人はいません。ある懸案を通すのにその前に一つの懸案を片付けてもらってすぐなのでまともに出せば、普通に考えれば、その懸案が終わってすぐにもう一つの懸案を出しても順番待ちになりますからね。ほかのとバランスをとる至極当然なことですが、それでは納得せずにより強い力に頼ろうとする。
当然興味は建前示してくれますが、見返りが求められます。それも当たり前と言えば当たり前かもしれません。無理聞いてをやるのだから見返りは当然だということになるのでしょう。ほんの少しの負担ならいいこの案件が通るならそれぐらいはお安い御用になるのでしょう。僕はなりません。よくなることには感謝しますが、引き換え条件は飲めません。
優しいがゆえに、無理筋のことを頼まれても断れなかったり、
言えなかったりするんです。
そうやって自分から関らないようにしないでいると、
うまいこと相手に利用されたりしてしまうことも出てきます。
いやな思いをして、
ある段階をこえたところで警戒心が高まって人間不信に陥り、
心をシャットアウトしてしまう、
なんてこともあります。
亡くなった親父は人間はこす生まれじゃ。と言っていました。こすい。ずる賢いの意味でしょうか親父にしてはまともな教えでした。優しさは罪であるとも言われます。多分負担が大きくなりすぎて、崩壊してしまうからなのかなって思います。人間の殆ど99%以上は利己主義だと言われています。
どこへいっても周りとどう付き合うか?痛い目ばかりでした若い時は、借金を400万もうまいこと言われてさせられましたし、いい勉強になりましたが、人付き合いはとても難しいです。
桑田真澄さんが言うように50%が敵で30%がどちらでもない。残り20%その中に家族や大切な人たち引て18%いい方としてもピンからキリまでいるでしょうし、明確なのもないでしょうし、ぼんやりとか、なんとなくあたりでしょうか?
自分が思う程相手は思ってはくれていません。逆に全く思っていいなかったりするかもしれません。だって親しい中にも礼儀ありだったり、いくら久し振りに会っても長居は禁物です。中々ちょうどいいなどはわかりません。
本来は優しい人なのに、
優しいままでいられなくなってしまうことって、
結構あるんです。
自分自身や、自分の周りに、
優しい人がいると思います。
そういう人が優しいままでいるためには、
「適当なドライさ」を兼ね備えておかなければいけません。
関わってはいけないタイプの人や環境に出会ったら、
適当に距離を置くこと。
それを継続できるからこそ、
優しさを持ち続けられるのです。
そうですね。合わない人とは合いませんね!無理に合わせようとすると自分自身に負担がかかります。わずらわしさも出てきます。それを自分に責を求めてはいけませんよね。合わない人はどのようなことをしても会いませんし、絶対に悪い評価しかくれませんでした。かかわってはいけないタイプの人や環境は自分にとってはマイナスそのもので絶対にプラスになることはありませんでした。
それを継続できるからこそ、
優しさを持ち続けられるのです。
優しい人こそ「適当なドライさ」を意識していなくてはいけません。
それに加えて、「ある程度の鈍感さ」も兼ね備えられるといいです。
「ここから先はスルーしておこう」
「ここから先は断ろう」
「ここから先は付き合わないでおこう」
といか、自分が優しくいられるライフを意識しておくんです。
そして、そのラインをこえたら遠ざけるようにする、
この意識を心の中に備えておくだけで、
だいぶ違ってくると思います。
なるほど納得ですが、丸写しです。すみません。でも関わってはいけないタイプの人と同じ空間にいるだけで、相当の嫌悪感、空気の悪さ(場の空気の悪さ)マイナスばかりが半端ではありません。存在自体に拒否反応が働いているのだと思いました。
優しい人が優しくなくなってしまうと、自分の大切な人や周りの親しい人たちが、
「あの人、なんだか変わっちゃったな」なんて、
寂しい思いをしてしまいます。
自分の優しさを持ち続けるため、
自分の大切な人に優しくし、続けるため、
自分の心の安定さを失わないためにも、
「適当なドライさ」
「自分が優しくいられるライン」を
意識しておきましょう。
至極もっともです。自分を自分で守れる工夫、方法を常に心得ていなければいけないですね。何事も深入りは禁物ともいわれています。僕は僕のできることはたかが知れていると思っています。
分相応ではないですが、自分のできることを知ることも大切です。
やはり、敵を知り、己を知れば百戦危うからず、です。
逃げるが勝ち。負けるが勝ち。と言う言葉もあります。
周りなんかを気にし過ぎないことも必要かもしれません。
自分を分かるのは自分自身です。
自分を救えるのも自分自身です。
自分自身と向き合い、しっかりと自分を知ること何もかにも関わろうと思わないことも必要でしょう。
周りに流されないようにすることも必要でしょう。そこはやはり、しっかりと意識して自分を持つこと。時分は自分でしかありません。ほかの人が自分になることはありませんし、なれることもありません。
常に物事を見極めて。出来なければ逃げて。嫌なら逃げて、自分を守ることが一番です。それが出来なければTomy氏がいうように上手に距離を開けることが大事です。どう思われても自分を大切にすることが大切です。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。
心より願っています。