2021年9月11日           何事も一方通行ではない。ほか。        

 

 

 

   こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

  本家は吉兵衛(多分この漢字だと思います。)が初代いつ頃生まれたかは、分かりませんが、恐らく親父が4代目ですので、明治初期若しくは、幕末でしょうか?この地区の本家から別れられた人たちがどうだったか?分かりませんので何とも言えません。

 

 

 分かれ子の分かれ子なのか幕末若しくは明治初期に本家に生まれて育ち自立して分家になったのか知る方法はありません。本家も初めに伊予の国に来られた時がいつなのか分からないです。

 

 先祖は戦国時代に戦った、毛利と。恐らく半農半士だと思います。毛利軍との戦闘だと思います。勝ち負けは、当然語るほどでもなく、毛利に負けました。

 

 

 その時代からという急な生活状況ではないとは思います。たどりつけるようにした場合どのような感じだったのでしょう。戦国時代の戦に先祖が参加したらしいです。役目だったのでしょうね。初めは地元同士の争いでの戦だったのでしょうかその後長宗我部との戦で負けて長宗我部に臣下になるのでしょうか配下として毛利と戦うのでしょうかね?

 

 

 伊予の国は一つにまとめられていくつかの軍として?のイメージがわきません。ある程度の軍ではあったのでしょうかね取り立てて大きな将は分かりませんが、新居浜は金子山の主。でも毛利にあえなく負けていますし、想像だけになりますが、でも、想像しきれません。

 

 

 戦国時代実際の実力はいかに、瀬戸内海に囲まれて南は海にいろんな意味で大きな隔たりがあったのでしょう。

 

 

 想像しきれないのは大いに反省します。

 

 

  鎌倉時代に神様と人々のことの決まり事を執権の北条氏が定めていたとは、人々が神様に願うばかりではいけないのですね。本来の神様と人々の関係など考えられていたようです。初詣、初午、夏越し祭、秋祭りなどかかわりの中で生かされていたのでしょう?

 

 

 今の時代古い考え?いえ、人として大切なものを守り、伝えていく、繋げていく。お参りすることで感謝の心それは恐らく自分たちをま持つ力。神様といることで自分を見失うことがなく、謙虚さで思いとどまることで自分を守る。神様に生かされていることを忘れてはいけません。神様にとっても氏子によって意識してもらって見守る。

 

 

 見守るそれは、道を外さぬように。本来は神様に要求ばかりではなく、成果の報告や苦難の対処や乗り越え方。本来の神様とのかかわり方一方的になることのないようにしなければいけないと思います。常に神様と向き合う形、向き合う姿。幸せもみんな一人一人違いますから、何かをしてくれたかをはかることではありません。

 

 

 みんなが良くなる、そこは忘れてはいけません。長い歴史の中で繋いできたもの、伝えられてきたもの、託されていた時から、託す側になったこと。そこにはいろんな思いや願い、それにより戸惑うことなく、間違うことなく、踏み外すことなく受け継がれるものがあります。

 

 

 それは神様と人とだけではありません。人と人。人と自然といろんなケースがあります。そのことも忘れては前に進むことは出来ません。いろんな小さな関りを大切にするその気持ちを忘れないようにしていきたいです。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。