2021年1月25日      自分のルーツ?。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 時折自分のルーツについて考えます。もちろん伊予之鈍才ではありませんが、伊予という姓の方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。百%繋がりはないと思います多分。個人的に伊予という言葉が好きなだけです。代々伊予人させていただいていますから僕も例にもれず伊予人です。

 実際のところ先祖をたどると岡山に行きつきます。岡山にある、島に行き着くことになります。まだ行ったことはないのですが、瀬戸内海に浮かぶ島の一つです。いつ頃こちらに気て何時頃分かれてこちらに更に分かれて我が家の実家になります。当然実家から分かれて今ここに住まわしていただいているわけです。

 チョッと気になるのが顔年を取るとやはりどことなく亡くなった親父に似ているといわれます。そういえば織田信成さんも織田信長の血を引かれる方似ているところがあるとか。実際日本中でまわっている織田信長の絵と比べると似ているのですかね?足利尊氏の絵が実は足利尊氏の絵ではなかったということも言われていますから、新しい真実が出てこないなら同じ血筋ですからどことなく似ています。と書くとおこられるかもしれません。

 織田信成さんのような物凄い方が先祖にいらっしゃるかは分からないのですが、岡山の本家では代々血筋が継承されているのではないでしょうか?こちらに来た血筋のことは全く知らないのですがそこから分かれてこちらの血筋で親父が4代目でした。ルーツとしての話ですが兄貴が5代目になります。はっきり言って枝はの位置になります。

 藤原とか、源とか平とかのエリートではありません。それでもみんなそれぞれの思いや心構えがあると思います。僕はただ単にご先祖様が分かればいいかなと思っていますあくまで僕の考えで皆様は自分の考えがあり本家だと自覚されていらっしゃる方もいます。例えば僕の本家筋の流れをずっと受け継がれていらっしゃる方。全く知りませんが恐らく僕が言うと支流の分際になるのでしょう。

 でも、支流としても一度は本家を岡山へ行き見たい気持ちはあります。ここが本家僕の血筋の出里かと思うのでしょう?実際に行ったらどのような気持ちになるか?自分自身に興味あります。

 僕はまだまだ見る目がないのかもしれません。去年年賀状を出したのは区切りとしてのケジメ新型コロナウイルスの影響下正直年賀状を出すどころではない方もいらっしゃるかもしれません。今年の年賀状ほど悩まれた方もいらっしゃるかもしれません。それでも年賀状をいただきました方たちに心からお礼申し上げます。有難うございます。

 恐らく相当悩んだと思います。同僚として長い間の中で一緒に仕事をすることもあります。年賀状を出す、出さないは本人の意思です。今回でお別れの方も実際いらっしゃいます。当然いろんな都合、考え、判断があります。出さない本人の意思もあります改めて今まで年賀状をいただきましたことを感謝いたします。有難うございました。

 そんな思いの中今日便りをいただきました。それは彼の苦悩の末に出した決断だと信じています。一緒に仕事もしました。でも今の彼は一段と輝きを増していると感じますよく出す決断をなされました。そう付き合いを切らさないぞ。とその意思気持ちいただきました。よくぞ、よくぞ貴方自身が貴方自身に決断を下しました。そのことは何よりも尊いことでしょう。最高の思いをいただきました。

 最高の男の決断。謹んでお受けいたします。

 今回お便りを出された皆様相当悩まれたことと察します。本当に有難うございます。

 僕は自分というものにかけてみたかった。自分の将来について。もちろん現実に年賀状ゼロの可能性もあったかもしれません。その時もそれが事実ですから受け入れる覚悟はしていました。これからますます精進して参りたいと思います。

 人との繋がりは改めてこれほど嬉しいとは、まだまだ至らぬ点は多いですがこれからもどんな時も皆様の思いを忘れずに前に向かって歩んでいきます。

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威が続きますが、

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 今年は全ての人にいいことが沢山来ますように。