2021年10月4日 来年は見せてください、北内魂!ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
北内太鼓台、新田太鼓、喜光地太鼓台、中筋太鼓台、10月16日午前4時からの内宮神社石段かきあげ、そう、それぞれの男たちの心意気、魂の雄たけび、燃える思い、たぎる気持ち、全てを一心に、心も力も合わせて、勇壮、華麗に舞う太鼓台は新居浜中にその沢山の雄姿を轟かせます。55台でしたか?
長野、池田、元船木、高祖、久保原。東田、松木坂井、上泉、下泉。土橋、上原、治良丸、本郷、岸之下、萩生東、萩生西。上本郷、下本郷、喜来、岸影。
阿島、東浜、白浜、楠崎、田の上、新田。又野、松神子、下郷。東雲、松乃木、浮嶋
、町、本郷、宇高、澤津。
大江、東町、新須賀、庄内、久保田、金栄、新田。中須賀、西町、西原、江口、本町
、口屋。
うーん。思い出せません。これ以上は。地区名はスミマセン省略させてください。忘れていつ地区がありましたら申し訳ありません。頭の中に入っていません。漢字を間違えていたらごめんなさい。
来年は男たちのあつい心意気を見せてください。託す側も、託される側も一つに慣れる。最高のパフォーマンスを見せてください。(残念なのは体が一つしかないこと祭りの3日間ぐらいは沢山分身出来て全ての祭りをこの目で見れるといいなと思っています。)
脳内科医が「左利きが独創的なのは宿命」と断言する理由。10人に1人といわれる左利き。
左利きが独創的なのは「宿命」
同じ場所で同じ時間に、同じ行動をとっていたとしても、利き手が違うと、脳にフィードバックする体験の性質が異なります。そのことが少数派である左利きを「独創的」にしています。
左利きと右利きの「脳体験」が違う大きな理由の一つは利き手が異なる人は同じ視点でものを見ていないからです。
人は利き手がある方向により注意を払っています。右利きなら右側、左利きなら左側です。つまり、左利きは同じ場所にいたとしても、右利きとは違う方向を見て、違う音を聴き、違う感覚を覚えていると言えるのです。
また、人はまわりと接するときに無意識のうちに自分の得意な脳番地を作って情報を得ようとします。
たとえば、文字を読み、人の話を聞いて記憶するなどの言語能力が高い右利きは、9割を言語の情報から取り入れ、残りの1割を非言語の情報から読み取るとしましょう。
一方で左利きは、6割を言語、残り4割を非言語の情報から得るとしたら、右利きと左利きでは、取り入れる情報のうち、3割の言語情報の違いが生まれ、さらに非言語でも3割もの違いが生じます。これが日々積み重なったら、どれほど大きな相違が生まれるでしょうか。
同じように生きても「脳体験」が違う。
実際に、右利きと左利きに同じ課題をやらせても、脳の反応が異なっているという研究は数多く報告されています。これはつまり、同じように暮らし、生きていても右利きと左利きの脳体験は大幅に違うということです。
たとえば、同じ日の同じ時間に、同じ山に登り、右利きが「楽しい一日だった」と言のとう、左利きが「楽しい一日だった」と言うのでは、まったく異なる体験を示しているのかもしれないのです。
こうした積み重ねによって左利きは、毎日の生活を送る中で自分なりの個性を築き上げていると言えます。
そうですか?なんとなくいつも感じていたものは、そういうことだったのですね?しかも研究されているとか?まだ、解明されていない部分が多そうですが、実をいうと完璧な左利きではありません。文字を書く時は右利き、食事をする時も右利きです。それ以外は左利きです。なんとなくしっくりとこない、右利きの付き合い。そうと分かっても難しさはゆっくりと関っていくしかありません。
どちらの利き手も良いことあーあーれ。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。
心より願っています。