2021年10月10日           今日も晴れ。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 昼間暑いです。ま、本来は、愛媛県下5日に始まる秋祭り、松山は神輿ですが、それぞれに趣向を凝らしているそうです。一本走りもあるそうです。みたことはありません結構いろんな形の祭りが、あります。

 

 

 10月は愛媛県にも似合う季節です。10日といえば、新居浜市大島の祭りが本来あります。13日は川之江と土居が始まり、そこから祭りたけなわになるのですが。その流れはありません。伝統の行事、ただ、思いは来年へ繋げてほしいです。先人たちの思いを確りと受け継いで、未来へと繋げていく。大切な思い。来年大きく開花することを 願う。

 

 

 表裏はいつの時代もあったでしょう。賛否両論は常に存在していたでしょう。五穀豊穣感謝の気持ち来年こそはみんなの気持ちを一つに空へ舞う思いを見たいと思います。

 

 

 

 精神科医Tomy。

 

 同町圧の強い日本では「空気を読む」ことが、人間関係の維持に必要とされました。

 

 でも、お隣の韓国にも「ヌンチ」という「空気を読む」とほぼ同義の言葉があるそうです。

 

 周りの人の要求をくみとって要領よく行動することが、日本人と同様に韓国社会でも必要とされてきたのかもしれません。

 

 いずれにしても、空気を読んでばかりいるのは考えもの。

 じゃどうすればいいか?

 

 空気を読み過ぎるとね、周りから「空気を読んでくれる人」って期待されて、

 

 言いたいことが余計言えなくなるの。

 

 ときどき爆弾発言するぐらいでちょうどいいわ。

 

 

 確かに、気の利きすぎるのも、逆に警戒されるのかもしれませんね。親しみやすさとか人間味も必要だすね。

 

 

 我慢ばかりも限界は達しますし、息抜きや気分転換が大切になります。例え、好きなことをしてても。

 

 

 空気を読むあえてどうのこうのは申し上げません。でも、果たして同町圧力がどこまで必要でしょうか?綻びが生じている気がしますし、限界のような気もします。「空気を読む」ことで失われていっていることはないでしょうか?

 

 

 人間関係の維持に必要とされてきた「空気を読む」悪いこととは申し上げません。でも、沢山の隙判断力の低下も否めない気がします。気を回すことは悪いことではありません。でも、よそに出し抜かれたり、物事が進まなかったりするのも考え物かなと思います。

 

 

 そのことを大切にすること、大切にされる方もいらして問題はありません。ただ、大切なものを見失ったり、大切なことが出来なかったりすると大きな疑問が残ります。

 

 

 好き勝手はいただけませんが、広く視野をもって、多角度的に捉え、時間をかけて導き出すことも大切だとは思います。慌てず、無理せず、諦めず、扉を開け道を進めることが出来るといいですね。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。