2021年10月13日 本来ならば。まだ、咲いていません。ほか。
こんにちは伊予之鈍才です。
本来ならば、今の時期咲いているのですが、今年は咲いていません。寂しいのですかね?去年も聞こえなかったし、今年も聞こえてこないので、出番が分からないのでしょうかね?いつもの年は9月から聞こえてくるのですが、それが、聞こえてこないことが寂しいのでしょうかね?金木犀。
大抵、この時期に咲くのですけれど、鼻がいい方ではありませんし、年も取りましたし、しっかり近くまで行かないと臭わないのですが、この街や東予の祭りには、金木犀が似合うと、勝手に思っています。愛媛の祭りの花になるといいですが?
これは確かに、考えてみる必要はあります。僕の健康寿命も、もう7年半ぐらいですか?早いものです。2年以内にと思い続けてもう2年以上経ちましたが、全く変わりません。いえ、悪くなる一方と言うべきでしょうか?変わらないということは、それは、やはりマイナスですから。
プラスマイナスで0は普通言われますが、僕はプラスマイナス0は大きなマイナスだと思っています。思い描いている方向に、一歩も進めていませんから、ずっとマイナスを続けているのですね?内心では大きく焦っています。去年の僕と変わりありませんから、変わりあるのは1歳年を取った全体に能力が去年より落ちたということです。
でも、ここで少しいつものように、お力を勝手にいただいて、見ます。
精神科医Tomy。
人は必ず死ぬという前提。
「幸せに生きるために一番大切なこと」
私たちの生活は、毎日同じことが繰り返されがちです。
だから、漠然と日常が続くという前提に基づいて考えがちなんです。
いずれ自分は死ぬということを忘れないでください。
疑いもせず日常が続くと思いこんでいるものですから本来は死ぬことに比べたら些細なことであっても、くよくよ悩みがちです。
ちょっとした人間関係であったり、仕事のトラブルであったり、いろいろとありますが、そういうことが頭の中で存在感を増してしまうわけです。
それをモグラ叩きのように叩き潰したり、また出てきたり繰り返しているうちに、疲れ果ててしまうということもあるわけです。
それは明日も明後日も当たり前のようにずっと訪れ続けるというふうに、知らず知らずのうちに漠然と思いこんでいるから起こることなんです。
いずれ誰でも必ず死ぬ。
そう考えると、本当に大事なことが、違って見えてくるはずです。いずれ自分は死ぬということを忘れずに、物事の優先順位を考えたほうがいいです。
そこで、思考のトレーニングとして、仮にあと一年で自分の寿命がなくなるとしたら、とうを考え、どう行動するかということを、ときどき考えてほしんです。
あと一年しかないとなれば、仕事で対立している人を懲らしめてやろうとか、きっと思わないではないでしょうか。
むしろ、いまを感じている季節は最後になってしまうから、目の前の天気を心から感じる。
天気がいい日はお散歩に行こうか、お世話になった人に会いに行こうか、そういう発想になると思うんです。
こういうことを日頃から意識しておくと、自分にとって大切なものを見失わないようになります。
もちろん、日常の些細なことに直ち向かっていくことも大事ですが、心のどこかに本当に大切なものを忘れないでおいてほしい。
そうしておかないと、いざというときに悔やむことになりかねませんから。
いずれ人は死ぬということを前提に、大切なことは何かを考えてみてください。
きょうのひとことは、
「幸せに生きるために一番大切なこと」でした。
おっしゃる通りです。何も言うことはありません。
ただ、思い描いて2年何も変わらずに過ごしています。
気になるところがあり、ずっと考えています。
いつまでも車には乗れないと思います。公共機関を使い日常を送るスタイルを」思い描いています。来年中にはその思いを実現したい。
まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、
皆様くれぐれもお体には気をつけてください。
今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。
心より願っています。