2021年12月10日             口コミの間違いによるお詫びを申し上げます。ほか。

  こんにちは伊予之鈍才です。

 

 

 口コミで、大変大きく間違えていたことを深くお詫び申し上げます。すみませんでした。

 

 

 北条氏康太田道灌は全く時代が違います。北条氏康がいた時代は戦国真っただ中です。北条氏康と対戦したのは太田資正です。しかも流石に大国の北条に単独太田資正率いる家臣団だけでは、枯れませんから、戦略・戦術を用いて上杉謙信に援軍要請したとううべきです。

 

 

 実際、北条氏康の父親、北条宇氏綱も1487年に生まれたということで太田道灌との敵対関係の可能性は1486年には、まだ、北条氏綱はまだ、生まれていません。なので、北条氏綱太田道灌を争うこともありません可能性としては、北条早雲ですが、彼の領土がどこにどれぐらい持っていたか?

 

 

 1486年8月25日の時点でのどのぐらいの版図を持っていたかですがどうでしょうね。1486年に北条早雲太田道灌と関東で接点があったかどうは分かりません。駿河では北条早雲太田道灌とがかかわった今川家の件がで駿河で面識があったようです。

 

 

 関東管領、主には山内上杉家犬懸上杉がのどちらかが、関東管領職についていたそうですが、やがて犬懸上杉も没落。

 

 

 宅間上杉に扇谷上杉に山内上杉犬懸上杉ですが、殆ど宅間上杉が出てきませんね。上杉禅秀の乱犬懸上杉が没落した後は山内上杉関東管領職を独占し、扇谷上杉は山内上杉を支える分家的な存在。

 

 

 関東一円はまとまりがないと言いますか1454年頃から争乱ばかりのようですので関東は、1467年から始まる応仁の乱からの飛び火直接影響を受け始めたという訳ではなさそうですね。応仁の乱以前からトラブルが続いています。どうでしょうかね。関東の土地柄でしょうかね平将門が活躍した土地ですしね。僕個人では、平将門はやはり時代を一生懸命に駆け抜けて人だと思っています。

 

 

 源頼義源義家の恩恵が生きていますかね?特に八幡太郎義家が後3年での活躍にも関わらず、朝廷からは私闘扱いされ、家臣の褒美は自分のを分配したとありますから家臣たちに配る恩賞があるということはかなりこの時代でも財力があったのでしょうか?なければ、自腹を切ることもできませんからね。名門中の名門清和源氏ですから。血筋は申し分はないです。

 

 

 その後源頼朝が決起したり、足利尊氏が、確か、後醍醐天皇にこたえて挙兵したと思います。新田義貞が決起して鎌倉幕府を滅ぼした。などの歴史の上にある。

 

 

 1454年ごろからの争乱それ以前はどうだったのでしょうね応仁の乱ごろ京より足利政知が関東に下向してますから影響が全くないことはないわけです。

 

 

 扇谷上杉の家宰が太田道灌で結局のところ、実力も統率力もあり、扇谷上杉を太田道灌が軽視した???下剋上を心配して???扇谷上杉定正が危機を感じ???自発的にしたか?それとも山内上杉よりも力をつけてきた(その力は太田道灌の実力によるもの太田道灌がどこまでの気持であったかは分かりません。上杉定正の館での入浴後小口から出てきたところを直接暗殺したのが曽我兵庫であるとなっています。1486年8月25日のこと。

 

 

 その時、太田道灌が「当方滅亡」と叫んだとか?結局、扇谷上杉も太田道灌がいたから伸びがありましたが、太田道灌がいなくなると衰退の一路をたどり、最後は滅んでしまいます。ただ、太田道灌の息子は人質として山内上杉に。その後太田資正が活躍しますんね。扇谷上杉は太田道灌が言ったように没落しましたが。

 

 

 個人的にはもっと太田道灌に活躍してほしかったですね。残念です。

 

 

 まだまだ新型コロナウイルスの脅威はありますが、

 

 

 皆様くれぐれもお体には気をつけてください。

 

 

 今年も全ての人にいいことが沢山来ますように。

 

 

 心より願っています。